最近、地元の銭湯「海浜あみだ湯」が、ISICO(石川県産業創出支援機構)の伴走支援によって事業承継を完遂したというニュースが、復興の光として報じられた。この記事を目にしたとき、私はある種の「救い」と、それ以上に複雑な感情を抱かざるを得なかった。
私自身、珠洲で新規就農者として、全く同じISICOの窓口を通じて事業承継と起業の荒波を越えてきた当事者だからだ。
「あみだ湯」の事例では、支援センターのコーディネーターが家族の間に入り、角が立つ条件整理をまとめ上げ、専門家と二人三脚でゴールまで導いたとある。これを読んだ読者は、「公的機関はここまでやってくれるのか」と安心するだろう。だが、そこで私が直面したのは、支援機関という大きな看板の裏に潜む、極端すぎる「担当者ガチャ」の現実だった。
約2年前、私の事業承継を担当した人物は、開口一番こう言い放った。
「当人同士を引き合わせたので、あとは自分たちでやってください」
事業承継とは、人生で一度あるかないかの大仕事だ。何から手をつければいいのか、暗闇を歩くような不安の中にいる私に対し、本来「羅針盤」であるべき担当者が、スタート地点でさじを投げたのだ。
実際に動いてみて、初めて骨身に沁みたことがある。事業承継において最も困難なのは、ロジックの通じない「価格交渉」の調整だ。 売り手は資産価値以上に、積み上げてきた歳月への「思い」を価格に上乗せしてくる。その思いはプライスレスであり、買い手には容易に理解しがたい。需給バランスによる客観的な資産評価など存在しない世界で、両者の感情を着地させるのは並大抵のことではない。
本来、そこを調整するのが「専門家」の役割ではないのか。 困り果てた私が、せめて判断材料にと「財務諸表のようなものはないのか」と尋ねると、彼は「ありますよ」とあっさり答えた。なぜ案件紹介の資料に付けていなかったのかと問うと、返ってきたのは信じがたい言葉だった。
「だって、欲しいって言わなかったじゃないですか」
呆れて、返す言葉もなかった。
実務が進み、土地の売買契約や登記の段階に入った際も、冷ややかな拒絶は続いた。売主が遠方にいるため司法書士の紹介を依頼したが、「ISICOにはそのような人材はいない、我々に聞かないでほしい」と、道案内すら拒まれたのだ。
私は結局、その担当者を頼ることを一切やめた。 自力で農地法を学び、農業委員会と調整し、自らの足で司法書士を探し出し、震災の混乱の中でなんとか独力で事業承継を完遂させた。公的機関などこんなものか。そう見切りをつけた私は、担当者の名前すら忘れかけていた。
ところが先日、補助金の審査会で出会った別のISICO職員の対応は、驚くほど対照的だった。 審査会の翌日、彼から一通のメールが届いた。
「私は専門家ではなく知識がありません。ですが、あなたの目標を解決することが能登の発展に繋がると確信しています」
彼は自分の知識の限界を認めつつも、工業試験場や農業試験場、金沢本部の専門家へと「繋ぐ」ための具体的な道筋を提示してくれた。自ら「金沢へも伝えておきます」と泥臭く動くその姿に、私は救われる思いがした。
同じISICOという看板を背負い、同じ税金で動いている組織の中に、これほどまでに解離した「二つの顔」が存在する。あみだ湯を救ったコーディネーターや、私を鼓舞してくれた方のようなプロフェッショナルがいる一方で、事務的に弱者を切り捨てる存在も確実に潜んでいる。
これが、今の支援制度が抱える「ガチャ」という名の欠陥だ。どの担当者に当たるかで、地域資源を守ろうとする挑戦者の命運が決まってしまう。
これから事業承継や起業に挑む人に伝えたい。 「組織」という虚像を信じてはいけない。だが、絶望の先にいるかもしれない「本物の個人」を見つけるまで、歩みを止めてはいけない。全ての責任は自分にあるのだから。