
「髪長いね」と言われることがよくあります。
答えは至ってシンプル。短いと頻繁に床屋へ行かなければなりませんが、長いと少々伸びたところで見た目の変化が少なく、手入れの回数が減るからです。そんな至極現実的な理由で長い髪を持つ私は、普段からゴムやクリップ、そして自作の「簪(かんざし)」で髪を束ねています。
私は農家ですが木工家でもあります。簪は私の代表作の一つ。といっても、最初から「この形にしよう」と図面を引くことはありません。木を割り、荒く削り、現れた木目と対話する。木がなりたい形へとそっと背中を押してやる。師匠と仰ぐ静時さんの「そこに芸術はあるのか」という言葉を胸に、意図と偶然の境界線で作品を編み出しています。
先日、そんな自作の簪を一本挿して、沖縄へと向かいました。友人たちに会いに行くただの旅行です。
「あい、あんたなんでジーファーさしてるの?」
嘉手納町で友人に会うなり、開口一番に放たれた言葉。
「なんね? ジーファー?」
聞き返すと、それは琉球の伝統的な髪飾りのことだと教えてくれました。なるほど、琉装の女性が髪に挿しているあの独得な形か、と記憶の隅にある像が結ばれます。しかし、私の簪はあくまで木との対話から生まれたもの。沖縄の伝統を模したわけではありませんでした。
ところが、行く先々で出会う友人が皆、私の頭を見て「ジーファー」と呼びます。沖縄の人々にとって、この形状はそれほどまでに象徴的で、目を引くものなのだと驚かされました。
旅の終盤、ジーファーに興味を持った私は那覇の県立博物館へ向かいました。モノレールの車内、一人の年配の女性が穏やかに微笑みかけてきました。
「お兄さん、ジーファーね?」
数日の滞在ですっかり「ジーファー知識」を蓄えていた私は、すこし恥ずかしく「はい」と答えました。(本当は違うけど・・)
「とても似合っている、格好いいわ」
女性はそう言って目を細め、「何でできているの? 竹かしら?」と尋ねてきました。
私は少しの違和感を覚えながらも、「栗の木で作りました」と答えました。のちに書籍で知ることになりますが、ジーファーはかつて身分によって金、銀、真鍮、そして木(主に竹や木製は庶民用)と材質が決まっており、沖縄の激動の歴史の中で女性たちが守り抜いてきた「魂」のような存在だったのです。
「竹」という問いかけには、彼女たちが生きてきた時代の風景が重なっていたのかもしれません。
モノレールを降り、エレベーターに乗り込むと、今度はまた別の陽気な女性に声をかけられました。
「にーさん、ジーファーさしてるの? 芸大生ね?」
いいえ、と笑って否定すると、「あらそう。でも似合ってるわ!」と風のように去っていきました。
私の手の中で、木目の流れに従って生まれた一本の棒。それが海を越えた先で、その土地の歴史や文化とピタリと重なり、見知らぬ人との会話を咲かせる。
「そこに芸術はあるのか」
静時さんの問いに対する答えが、ほんの、ほんの少しだけ見えた気がしました。意図せずして「ジーファー」となった私の作品が、沖縄の空気に馴染み、人々に受け入れられたこと。その偶然の連鎖が、この旅を何よりも鮮やかで誇らしいものにしてくれました。
那覇の湿り気を帯びた風に吹かれながら、私は自慢の簪を指先でなぞり、また新しい木を割る日のことを考えていました。