春の実感、秋の予感

季節の変わり目だ。 長く厳しかった冬の北西の風が鳴り止み、湿り気を帯びた東寄りの風が吹き始める。それが合図だ。

気温が上がり、土の温度がゆっくりと目を覚ます。すると、地面からは約束事のように山菜たちが順番に顔を出す。まずは雪解けを待っていたふきのとう。それを皮切りに、タラの芽、コシアブラ、そしてウドへ。まるでバトンを渡すように、決まった序列を守って芽吹く生命の力強さに、農家としてのカレンダーが更新されるのを感じる。

木の節目からは新芽が吹き出し、ひこばえが力強く空を目指す。日々、様相を変えていく風景の中に、私たちは単なる景色の変化ではなく、これから始まる収穫への序曲を読み取っている。

海のいきものたち

一方で、海の中もまた、劇的な交代劇の最中にある。 先週、今シーズン最後となるわかめ刈りに出た。一年分のストックを確保するには、どれだけあっても足りない。そんな焦燥感にも似た思いを抱えながら海に潜った。

水温が上がるにつれ、わかめの先端からは色が抜け始める。それは海藻がその役目を終えようとしているサインだ。ゆらゆらと波に揺られるわかめの森を泳いでいた、その時だった。

水深わずか2メートルにも満たない浅瀬で、その「影」は動かずにいた。 1メートルをゆうに超える、ブリか、あるいはヒラマサか。巨大な青物が、まるで昼寝でもしているかのように、一点に留まってホバリングをしていたのだ。

手元に銛さえあれば、確実に仕留められる距離だった。しかし、あいにくこんな時に限って道具は持っていない。私はただ波に揺られながら、その魚とつかず離れずの場所でじっと見つめ合った。

逃げる様子もなく、ただ静かにそこに在る巨大な生命。 海中の静寂の中で、野生と同じ時間を共有しているという感覚が、不思議な高揚感と、言いようのない「うれしさ」をもたらしてくれた。人間としての都合を離れ、ただ海の一部としてそこに漂う。なんと贅沢な時間だろうか。

濁りの向こう側に、秋を予感する

もう少し暖かくなれば、海底の海藻たちはちぎれ、海面に浮上してくる。 海藻から溶け出す未知の成分によって、海は一時的に白く濁るだろう。だが、その濁りこそが合図だ。これまでわかめの森に身を隠していた魚たちが、一斉に広い海中へと泳ぎ出す姿が見られるようになる。

海が賑やかになる一方で、陸の仕事は一気に加速する。 畑では雑草が文字通り伸び放題となり、ゴールデンウィークを境に、今年最初の農園の草刈りがスタートする。一度このスイッチが入れば、秋までの時間は驚くほど早い。

雑草との果てしない格闘、そしてあの目まぐるしくも充実した収穫期が、すぐそこまで来ている。 海中で巨大な青物と見つめ合ったあの静かな時間は、嵐の前の静けさだったのかもしれない。

自然の理に身を委ねながら、今年もまた、生命の奔流の中へと飛び込んでいく。