私はこの能登の地で、誰とも同じではない、たったひとつの栗を育てている。
他の農家から見れば、私は「とんでもないやつ」だろう。なぜなら、栗に肥料も農薬も与えていないからだ。
栗というやつは、とにかく虫に好かれる。
特に、収穫が近づく7月から9月にかけて、栗の実が大きくなるにつれて、虫たちにとってここは「食べ放題バイキング」になる。他の農家は、この時期定期的に決まった農薬を撒き、栗を虫から守る。
それが、系統流通に乗せるための、いわば共通のルールだ。品質を統一し、安定した供給を保つための約束事。
だが、私は「ノー」だ。誰かの決めたマニュアルに従って、誰とも同じ栗を作ることが、私の求める道ではない。私は、自由に、自分だけの表現を突き詰めたい。
それは、絵を描く画家のようなものだ。奇をてらってやろうと思ったわけじゃない。ただただ、「安心して、美味しいと思えるものを作りたい」。その思いだけだった。
農薬も肥料も使わない。すると、当然、虫との死闘が始まった。他の農家からすれば、耳を疑うような話だろう。「それは絶対無理だ、非効率だし無意味だ」と、言われている。収穫が近くなると、周りの農家や専門家が心配して「防除をしろ」と忠告に来る。
「大丈夫。私は、虫との戦いを、栗と一緒に楽しんでいる」
そう言うと、彼らは首を傾げながら去っていく。私は虫を完全に駆逐しようとは思わない。ただ、その数を減らすために、毎日栗の木とにらめっこしながら、知恵と汗を絞る。
面白いことに、一本の木でも、虫がつく実とつかない実がある。かと思えば、全く虫のつかない木もある。そして、すべての実が虫に食われる木はない。なぜ虫がつかない実や木があるのか、それは私自身にもまだわからない。だが、その謎こそが、私の探究心に火をつける。
こうして出来上がった栗は、もちろん、系統流通の規格には収まらない。だが、それが、私の栗なのだ。この世にたったひとつしかない、能登の自然と、私のこだわりが生み出した、唯一無二の「作品」だ。
自分で作ったものを、自分の責任で売る。多くの農家が、ここで壁にぶつかる。「作る」ことは得意でも、「売る」ことには慣れていない。だから、結局、安心のレールに戻っていく。
私は自分が育てたこの栗を、どんな人に、どんな言葉で届けたいか。それもまた、私の表現の一部だと思っている。
私の栗は、他の栗よりも少し高いかもしれない。不揃いかもしれない。だが、それは、私がこの栗に込めた時間と情熱、そして能登の自然そのものの価値なのだ。
スーパーで売られている、画一的な栗とは違う。これは、私という人間と、能登という土地が、全身全霊をかけて作り上げた、一つの物語だからだ。
この栗を口にした人が、ほんの少しでも、能登を感じ、私の情熱を感じてくれたら、それでいい。私はこれからも、この能登の土地で、たったひとつの栗を作り続ける。そして、「安心して、心から美味しいと思えるもの」をより効率的に、たくさん作れるよう日々奮闘していく。