自然の「負の連鎖」を断ち切るために

能登の初夏、栗の木々が広げる瑞々しい緑。その美しさの裏側で、私は「時限爆弾」の解除作業に追われています。クリタマバチの虫コブ。昨年仕込まれた卵が孵化し芽を食い荒らそうとするサインです。

なぜ、栗はこの世から絶滅しないのか

これほど深刻な被害をもたらす害虫がいながら、なぜ栗という種はこの世から消え去らないのでしょうか。

そこには、絶妙なまでの均衡が存在します。害虫が増えれば、それを糧とする天敵のチュウゴクオナガコバチもまた増える。この追いかけっこのような増減の波が、壊滅的な絶滅を未然に防いでいるのです。

一体、誰の意志でこのバランスは保たれているのか。 虫の意志か、あるいは神の意志か。 種を絶滅させないよう、ミクロの世界で寸分の狂いもなく調整を続ける「自然」や「地球」という巨大なシステムの存在を紐解こうとすると、知らず知らずのうちに、その神秘的な仕組みに意識を奪われてしまいます。

「自然のバランス」という残酷な徴収

しかし、経営者としてこのミクロの均衡を眺めたとき、景色は一変します。 「自然に任せる」という言葉は耳に心地よいですが、その実態は、農家にとって極めて残酷な「負の連鎖」に他なりません。

天敵が増えるのは、常に害虫が爆発的に発生し、木が食い荒らされた「後」のことです。 そして、天敵が害虫を抑えたところで、それは単に「マイナスの幅が縮小する」だけに過ぎません。前年に被った収益の損失や、傷ついた樹勢という「資産の毀損」を、自然が補填してくれることは万に一つもないのです。

自然のシステムは「種の存続」には関心があっても、一軒の農家の「黒字化」には一切の関心を持っていません。ただ、常にビハインドを背負わせ、不条理な徴収を続けていくだけなのです。

宿命を断ち切る「ハサミ」という意志

私は、その「負の連鎖」というレールから降りることを決断しました。 ミクロの均衡に身を委ね、一方的な搾取を甘受するのではなく、自らの手作業という「確実な資本」を投下して、運命をねじ伏せる道を選びました。

クリタマバチが成虫になり、来年の枝に卵を産み付ける前に、視認できる虫コブを一つひとつ剪定ばさみで切り取っていく。 この作業に、熟練の腕による変数はありません。あるのは、ただ「やるか、やらないか」という冷徹な仕組みの構築だけです。広大な果樹園でこれを行う労力は気が遠くなるものですが、この執念こそが、自然の気まぐれな調整を上書きする唯一の手段です。

農業M&Aと、その先にある「作品」

私は慣行栽培の園を買い取り、無農薬へと転換させています。 苗木から始める近道を捨て、ボロボロの構造を立て直すこの「農業M&A」とも言えるプロセスには、予期せぬ困難が次々と立ちはだかります。

しかし、だからこそ面白い。 農家として作物を作る喜び以上に、ビジネスマンとして不合理な連鎖をロジックと情熱で突破していくプロセスに、私はとてつもない高揚感を感じています。

こうして守り抜いた栗は、単なる「自然の恵み」ではありません。

農薬による効率的な防除という「経営上の正攻法」をあえて選ばず、地球が強いる不条理なバランスを拒絶して、自らの意志で勝ち取った「結晶」です。 莫大な労力と時間を引き換えにしてでも追求した「無農薬」という純粋な品質。

その揺るぎない価値を守り抜くという確信を込めて、私は今日もまた、ハサミを握り畑に向かいます。