能登の地震と豪雨で、私の栗園へ続く農道は完全に寸断された。
行政の動きを待っているだけでは埒が明かない。
そう腹を括り、私は自力での復旧を決意した。
そんな中で出会ったのが、日本笑顔プロジェクトというNPO法人だ。
重機の資格講習を通じて知り合い、彼らの協力を得ることができた。
3月末からの5日間、延べ169人もの人々が、この山奥まで来てくれた。
人に頼ることの難しさ、そして温かさ
4月2日、作業3日目。
私はどうしても外せない用事があり、現場を離れることになった。
仲間たちに作業を任せる後ろめたさと、この目で状況を見られないもどかしさ。
複雑な気持ちを抱えながら、私は1日を過ごした。
災害現場では、ただ黙々と手を動かすだけでなく、人に頼ることも同じくらい大事だと痛感した。
普段なら遠慮してしまうようなことも、思い切って「これをお願いします」と伝える。
すると相手は快く引き受けてくれる。
そして、「頼ってくれて嬉しい」と言ってくれる人もいる。
その言葉に、私は何度も救われた。
一人で抱え込まず、役割を分け合い、力を重ねていくこと。
そうやって初めて、現場は前に進んでいく。
忘れかけていた大切なことを、私はこの場で再認識させてもらった。
花粉症と、朝礼の賑わい
4月3日、作業4日目。
この日の朝礼は、日を追うごとに参加人数が増え、活気に満ちていた。
顔ぶれも様々で、全員の名前と顔を一度に覚えるのは至難の業だ。
それでも、みんなで同じ現場を動いているというだけで、自然と親しみが湧いてくる。
個人的にはちょっとした苦労もあった。
これまで無縁だった花粉症に、この活動中に突然襲われたのだ。
あまりの辛さに病院へ駆け込むと、「重症」と診断された。
生まれて初めて、花粉症の苦しさを味わった。
もう一つは、朝礼や休憩中に「何か一言お願いします」と振られることだ。
ありがたい反面、毎回同じ感謝の言葉ではいけないと、私はあれこれと頭を悩ませた。
結局、その場で感じたことを素直に話すしかなかった。
それでも、ちゃんと伝わっているだろうか、誰かのやる気を削いでいないだろうかと、いつも不安が残った。
開通、そして見えてきたもの

この日、ついに道が開通した。
土砂で塞がれていた農道が、車で通れるようになったのだ。
当初は軽トラックが通れればいいと思っていた。
しかし、地域の炭焼き職人さんが2トントラックを使っていると知り、現場で相談を重ねた結果、予定よりも時間をかけて、2トントラックでも余裕をもって通れる幅を確保できた。
農園再建に向けて、大きな一歩を踏み出すことができたのだ。
農道が開通し、改めて現場を見渡すと、私はその土砂の量の多さに愕然とした。
普段は何気なく通っていた道。
その脇に、これほど膨大な土砂が流れ込んでいたなんて、想像もしていなかった。
これだけの土砂を動かすには、やはり重機の力は不可欠で、それを支える人たちの手もまた、欠かせなかった。
たくさんの人が関わり、力を貸してくれたことに、ただただ感謝するしかない。
それ以上に、自然の力の大きさに、改めて驚かされた。
支える側の声、見えない力
ボランティア活動は一区切りついた。
彼らがこの5日間で取り組んでくれたのは、農道の開通だけじゃない。
農園の清掃や、崩れた小屋の解体まで、黙々と、しかし熱意を持って動いてくれた。
私一人でどうにかしようと、もがいていた時期もあった。
しかし、実際に行動を起こしてみると、個人の力ではどうにもならない現実に直面した。
重機や人手があっても、危険が潜む現場では、多くの調整が必要になる。
延べ169人が5日間滞在した。
だが、これは「たった5日」で済むようなことではなかった。
作業前の調整や準備、技術と経験を持つリーダーの存在、そしてそれを支える組織と仲間。
これらが揃って初めて、物事は前に進む。
現場で何度もかけられた「何でも言ってください」という一言が、今も心に残っている。
人に甘えるのが苦手な私でも、ここでは安心して気持ちを預けることができた。
この信頼関係が、作業効率を上げるだけでなく、心の支えにもなるのだと実感した。
今回の活動を通じて、多くの人との縁が生まれた。
日本笑顔プロジェクトという組織、そして支援に駆けつけてくれた仲間たち。
この出会いを、一時的なものだけで終わらせたくない。
今年の秋には、2年近く放置していた栗園から、収穫ができるかもしれない。
あの道が、どれほどの人の役に立っているのか。
また誰かが、この道を通って、私の栗園を訪れてくれる日を楽しみにしている。