奥能登地震と豪雨による土砂崩れで寸断された農道。行政の対応を待つだけでは進展が見込めず、自力での復旧を決意した。
その中で出会ったのが、NPO法人「日本笑顔プロジェクト」だった。重機の資格講習を通じてつながりが生まれ、彼らの協力を得ることに。
2025年3月31日から4月4日までの5日間、日本笑顔プロジェクトによる農道啓開作業が行われた。本記事では、その前半の取り組みを記録する。
3月31日:準備の日
3月末、能登の山に雪が舞う肌寒い日、日本笑顔プロジェクトの先発隊4人が現地入りした。
能登町での重機講習を終えたばかりの2人が加わり、チームが編成される。気温はわずか4度。まずは大きなテントを張り、雨風をしのぐ場所と休憩所を確保するのが最優先だった。
4月1日:本格的な作業開始

4月1日、作業2日目の朝。宿泊地である日置(ひき)ハウスでの朝礼を終え、私は皆に挨拶をした。最も心配しているのは事故や怪我だ。安全最優先と感謝の気持ちを込めて伝える。
リーダーから作業の割り振りや安全対策の説明があり、8時40分に現場へ出発。私は途中でトイレのある集会所を開け、備品を補充してから皆に合流した。現場に到着すると、リーダーが改めて役割と班分けを伝えると、いよいよ本格的な作業が始まった。
この日の主な作業は、土砂に埋もれた大木の掘り起こしだった。重機で土砂を取り除き、チェーンソーで木を切断し、運び出す。だが、粘土質の土は靴にまとわりつき、重機のバケットにもこびりつく。作業は思うように進まない。
啓開ルートには滑り落ちた栗の木が横たわっており、これも伐倒の対象となった。チェーンソー班が次々と枝を落とし、木を細かく解体していく。他のメンバーは、切り出された材を1か所に集めていった。皆、黙々と、しかしテキパキと動いていた。
珠洲の鰯
昼になると、メンバーは昼食のため一旦日置(ひき)ハウスへ戻った。私はその間に、漁師の友人が提供してくれた25キロもの鰯を取りに自宅へ向かう。
軽トラックに山盛りの鰯を積み、日置(ひき)ハウスに戻ると、他のメンバーはすでに午後の作業に出発した後だった。残っていた数人と共に、私は大量の鰯を厨房まで運び込んだ。
珠洲の定置網には、この時期になると大漁の鰯が入る。毎年恒例、漁師たちにとってはボーナスのような、ちょっとした祭りだ。今年は豊漁で、おかげでこうして皆に振る舞うことができた。大量の鰯を前に、調理班は一瞬驚きつつも、手際よく下処理に取りかかった。延べ169人ものボランティアの胃袋を支える彼らの存在を、私は改めて実感した。
午後の作業と重機の実践

午後も引き続き、土砂と流木の撤去作業が続いた。私自身も重機に乗り込み、作業に加わった。
日本笑顔プロジェクトは、被災地で重機講習を開き、「自助力の向上」を目指す団体だ。その理念に深く共感した私は、講習を受けて資格を取った。今、こうして自ら重機を操り、土砂を取り除いているのは、まさにその一歩があったからに他ならない。
だが、私の重機操作は免許を取ったばかりの初心者だ。正直、とてもへたくそで、できれば重機以外の作業をした方が効率的だろうと思っていた。そんな私の気持ちを察してか、重機講習の講師でもあり、今回の現場リーダーでもある男がこう言ってくれた。
「ゆっくりでいいから頑張って、これは効率の問題じゃないんです。実際に重機を使った作業に携わることに意味があるんですよ」
まさにその通りだと思った。私は彼の言葉に甘え、この作業効率の悪い初心者に付き合ってもらおうと決めた。そして、彼や日本笑顔プロジェクトの皆はきっと付き合ってくれるだろうと思った。
「自助力」とは何か
この日の経験は私にとって大きな意味があった。公的な助けが届くまでの間、自分の力で状況を切り拓くという「自助力」。被災したからこそ、その重要性を身をもって実感したのだ。
資格を取得し、こうして実際に現場で手を動かすことで、私は「次に同じことが起きても、ある程度なら自分ひとりで対応できる」という確かな手応えを得ることができた。
もしあの時、ボランティアセンターに駆け込んで、誰かの助けを待つだけだったとしたら、私は重機に乗ることも、現場で経験を積むこともなかっただろう。そして、同じ状況が再び起きたら、また誰かの手を待つしかなかったはずだ。
この出会いと実践は、私にとって何よりも貴重な財産となった。