奥能登に厳しい冬が訪れる。12月から3月、寒風が吹き抜ける中、私たちの仕事は「剪定」という木々との深い対話から始まる。
樹高が招く静かなる衰退
栗の木は本来、光を求めて空へと奔放に伸びゆく性質を持つ。しかし、放任された成長は農園に幸福をもたらさない。5メートル、6メートルと高く伸びすぎた木は、自らの上層部で陽光を独占し、下枝を深い影へと追いやってしまう。光を失った枝は光合成を止め、やがてその活力を失う。
さらに、密集した葉は湿気を呼び、風を遮る。それは病害虫を招く温床となり、果実へと至るべき栄養を空虚な枝葉の成長へと霧散させてしまうのだ。管理の手が届かぬ高さは、農園にとって克服すべき課題となる。
「強剪定」という荒治療、その覚悟
私の農園には、向き合わねばならない過去がある。震災による2年間の空白と、先代から引き継いだ放任の歴史だ。天を突くように伸びきった樹々は、再生への歩みを阻む壁となっていた。
そこで私は「強剪定」という道を選ぶ。太い幹を低い位置で断ち切り、樹高を根本から下げる荒治療だ。当然、これまで実りをもたらしていた枝を失うことは、一時的な収益の喪失を意味する。切り口から新たな命が芽吹き、再び豊かな実りを見せるまでには、少なくとも5年の歳月を要するだろう。
これは単なる作業ではない。数年先の理想の景観と実りを見据え、一歩ずつ進む緻密で根気のいる「再生のプロセス」なのだ。
孤独な伐倒、緻密な美学
一本の木を前に、思考を巡らせる。周囲との調和、3年後、5年後のシルエット。決断を下した瞬間、チェンソーの旋律が静寂を切り裂く。
高く伸びた枝を倒す作業には、一分の隙も許されない。周囲の幼い枝を傷つけぬよう、ロープと滑車、そして経験に基づいた物理計算を駆使し、密集した隙間を縫うようにして巨木を接地させる。それは至難の業であり、孤独な闘いでもある。
伐倒した後は、枝打ち、玉切り、そして切り口を癒やす薬を塗布するまで。その一つひとつの所作が、農園の秩序を再構築していく。
未来へつなぐ一太刀
何百本もの木々と向き合う日々は、泥と汗にまみれた過酷なものだ。しかし、この一太刀がなければ、奥能登の栗の未来は拓けない。
チェンソーの轟音の先に、私は数年後の豊かな実りを幻視する。放置された荒野を、再び生命力溢れる農園へと還すために。今日流す汗は、明日、能登の地が育む極上のひと粒へと結実する。その確信だけが、私を冬の山へと向かわせるのだ。