栗園のバトン

2024年、能登半島・珠洲市にある栗園を3代目として引き継いだ。この栗園はもともと地域の人々が大切に育て、信頼する知人が管理を引き継いでいたものだ。しかし、奥能登地震で多くの人が被災し、栗園の管理も難しい状況に陥った。そんな折、私がそのバトンを受け取ることになった。

ところが、同年9月の豪雨が私を襲った。栗園に通じる農道が寸断され、園は文字通り「孤立」してしまった。

何もできない絶望と、痛感した農の脆弱性

農家として、何もできないという絶望感に襲われた。行きたくても行けない。私自身も被災者であり、穴だらけの家にブルーシートを張り、混乱の中で家族を守る日々。家の応急修理や地域のことに追われ、車が入れない農園では、手の打ちようがなかった。

肥料を撒くことも、草刈りも、剪定も、そして何より大切な収穫も。

目の前でたわわに実った栗が地面に落ち、虫や獣に食われ、腐っていくのをただ見ていることしかできなかった。腐った果実の掃除すらできず、ただ無力な時間が過ぎていく。

「何もしない」ということは、来季の準備もできないということだ。今回の出来事で、農業がどれほど機械やインフラに頼っていたのかを痛感した。

問い直す「これまでの農業」:繰り返してはいけない

山間部に位置する私の農園は、一度被害に遭えば、いつまた同じような状況になるか分からなかった。
ようやく農園に入れるようになったとしても、「果たしてこのまま従来の方法で営農を続けて良いのだろうか?」という自問自答を繰り返した。

このままでは、また自然災害の度に立ち尽くし、大切な作物を失うことになるのではないか。
そう悩む日々が続いた。

一歩ずつ、泥を越えて。それでも限界を感じた日

それでも私は、ただ座して待つわけにはいかなかった。土砂を乗り越え、自力で運べるだけの道具を背負い、何度も何度も農園までの道を往復した。普段なら数分で済む道のりが、荷物を運ぶだけで何十倍もの時間を要した。

しかし、一人でできることには限界があった。機械が入れない以上、どんなに頑張っても手が届かない。

「このままでは何もできないまま、貴重な2年を無駄にしてしまう…」。焦りと無力感が募るばかりだった。

農園に舞う、たくさんの二ホンミツバチ

重機の講習会で知り合った日本笑顔プロジェクトを通じて、土砂の撤去作業が終わった。ようやく農園内に車が入れるようになったある日、私は驚くべき光景を目にした。 たくさんの二ホンミツバチが、春先からせわしなく飛び交っているのだ。 例年ならこれほど多くの二ホンミツバチを見ることはなかった。

「もしかして…」。

農薬を撒くことができなかったこの状況が、自然と蜂たちにとって過ごしやすい環境になったのではないか? そう直感した。

その年の栗の出来栄えはまだ分からなかったが、受粉に関しては全く心配がないどころか、むしろ豊作が期待できるとさえ感じた出来事だった。

「自然と共生する農業」への決意

このミツバチたちの姿を見た時、私の心は確信した。 「このまま従来の、機械や化学資材に頼る営農方法を続けていてはダメだ。」 これまで、代替案が思い浮かばず、本質的な問題以外のところで解決策を探そうと悩んでいた。

しかし、蜂たちの姿が、私の農園が目指すべき場所を明確に示してくれた。

「私は虫や土、森に優しい果樹園を作り、肥料や農薬に頼らず自然の力を利用した栗を作る。」 そして、「できるだけ機械に頼らず、自然と人との共存で、良質な栗を生産できる農家でありたい。」

これが、私が無農薬・無肥料の栗農家として新たな一歩を踏み出すきっかけとなった出来事だ。

被災地で知ったのは、公助が行き届かない現実だ。

だからこそ、私自身の自助力の向上が何よりも大切だと痛感した。そして、農園もまた同じではないのかと考えた。

機械に頼りきり、自らの力ではどうにもできない状況を再び繰り返すことだけは避けたい。